金型屋の女房

 

 淀川民主商工会婦人部の望年会に総選挙のお礼のごあいさつにおじゃましたときのことです(12月13日)。シャキシャキした語りで司会をされている女性Tさんがいました。「お忙しいのにありがとうございます」との声と話し方に、以前どこかでお会いしたことがあるような気がしましたが、すぐには思い出せませんでした。

 あいさつが終わり手作りのごちそうを囲んでの懇親の時間となりました。私が「皆さんどんなご商売をされているのですか?」と水を向けると、それぞれの仕事が語られTさんの番に。「主人が守口で金型をやってたんですけど、10年ほど前にやめました」。守口、金型、廃業・・・、Tさんの言葉に私の記憶が呼び覚まされました。まちがいない、あのときのTさんです。

 「僕、Tさんに会ってますよね」。思わず叫ぶようにたずねると、「はい、守口の民商で会いました。志位さんのかばん持ちで山下さんも来ていました」とTさん。やっぱりそうです。たしか93年か、94年だったと思います。私は参議院大阪選挙区の候補者でした。志位書記局長(当時)の国会質問準備のための調査に同行させてもらったのです。松下電器の生産拠点の海外移転にともなう下請けいじめの実態を調べるのが目的でした。

 守口民商の2階で聞いたTさんの話しは強烈でした。Tさんのご主人は若いときに独立創業して以来、松下からの金型の受注を中心に、工場を拡張し従業員を増やしてきました。最高時は十数人もいたそうです。それが90年代に入り、松下からの仕事が急激に減ります。相次ぐ単価引き下げの要請にこたえるために、借金して最新の機械を入れ人を減らして必死に対応しましたがとうとう力尽きました。松下側からは「中国と同じ単価でなければ仕事はない」といわれたそうですが、そんなことは不可能です。

 「これ以上続けるのは無理。廃業しよう」。夫婦二人、泣きながら決断したといいます。「廃業後、主人は工場だった1階に降りていけなくなりました。自分の人生が全部つまった場所ですからつらいのです」。もう10年にもなるのに、そのとき聞いたTさんの言葉はいまも鮮明に覚えています。

 そのTさんが目の前に明るい笑顔でいるのです。聞くと、あれからご主人は個人タクシーの運転手を始めたそうです。大阪市内で営業する方がいいとの判断から、業者婦人運動で知り合った、こんにゃく製造販売業のSさんを頼って淀川区に引っ越してきたそうです。Tさんは早朝のビル清掃のパートにでかけています。そしていまも元気に業者婦人運動の先頭に立っています。大変なご苦労があったことでしょう。それでも、いやそれだからこそ、この明るさと強さがあるのかもしれません。

 「小泉さんの中小業者切りすての政治は許せないの。私もがんばるから、山下さんもがんばって」。
 とってもうれしい再会でした。