被災者支援と祖母の教え 
連帯広げ--参院議員・比例予定候補 山下よしき物語Ⅱ (第3回)

 「日本国憲法の精神が心に根付いている山下さんは、その誠実な人柄で野党共闘の要にもなってきた。この国に不可欠な政治家として続投を心から応援したい」。憲法学者の小林節さんが山下よしき参院議員によせたメッセージです。

市民と立法運動

 山下さんの国会議員活動の原点は、阪神・淡路大震災の被災者支援です。「被災者の生活と住宅の再建に政府は個人補償を」。震災半年後の1995年7月、参院議員に初めて当選した山下さんは、被災者の声を代弁し、くり返し政府に個人補償を求めました。

 ところが当時の村山政権は「日本は私有財産制の国だから自助努力が原則だ」と拒否。

 「国会議員はこんなにも無力なのか。自回自答する毎日でした。道路や港はどんどん復興するのに被災者の生活再建は置き去りにされ、悔しいばかりでした」

 「政府がやらないなら自分たちでやろう」。転機になったのは、被災住民やボランティア、作家の小田実さんだちと一緒に個人補償を求める議員立法運動に取り組んだことです。

 山下さんは、超党派の議員有志で勉強会を立ち上げることに奮闘。市民と国会議員が力を合わせてねりあげた法案は98年、被災者生活再建支援法に実りました。
写真:小田実さん(右端)と被災者生活再建支援法実現へデモ行進する山下議員(左端)。中央は緒方靖夫・現日本共産党副委員長=1998年3月1日

 この運動にとりくんだ市民=議員立法実現推進本部事務局長の山村雅治さんはいいます。「被災者の公的支援を求めた共闘は、安保法制廃止を求める現在の市民と野党の共闘の先駆けでした。当時最年少の山下さんはよく働いてくれました。弱い立場の人のことを忘れない。友情を感じます」

人に役立つよう

 山下さんの原点に 「おばあちゃんの二つの教え」があります。子どものころ共働きの両親にかわって面倒をみてくれた祖母の口癖は「人の役に立つ人間になれ」と「共産党にはなるな」でした。

 人の役に立つならと、入学した大学で自治会のクラス委員になり、学費値下げの署名活動などにとりくみます。先輩に共産党員がいました。

 「戦前の歴史を学ぶ中で知りました。学生までも戦場にかりだされ死んでいったあの侵略戦争に命がけで反対した人たちがいた。それが共産党の人たちだと知ったとき、弾圧を受けてもがんばり通した生き方こそ『人の役に立つ生き方』ではないか。そう思い党に加わりました」

 山下さんは故郷の香川に帰ると、仏壇に手を合わせてつぶやきます。「おばあちゃん、教えの一つは守っています。もう一つは乗り越えました」

 (隅田哲)
   (おわり)

市民と野党の共闘 前へ 
連帯広げ--参院議員・比例予定候補 山下よしき物語Ⅱ (第2回)

 山下よしき参院議員は市民と野党の共闘を前進させることに尽力しています。

 2015年9月、安倍自公政権の安保法制=戦争法強行に対し、市民から声がわきあがりました。「安保法制は廃止を」「野党は共闘」

声にこたえたい

 どうすればこの声にこたえることができるのか。真剣に考え抜いた結果、日本共産党は「国民連合政府」を提唱します。安保法制を廃止するため国政選挙で野党が協力し、安倍政権を打倒しようという呼びかけです。

 「共産党が他党と国政選挙で協力するのは初めてのことでした。なんとしても共闘を成功させるため、私が心がけたのは相手の立場に立って誠実に対応することでした」

 当時書記局長だった山下さんは、野党各党の幹事長と会談を重ねながら、16年の参院選で32ある1人区の候補者一本化に奔走しました。

 全国各地で安保法制廃止をめざす市民連合が誕生したことも大きな力となり、32選挙区の全てで一本化が実現。11選挙区で野党候補が勝利しました。

 「市民の声が政党間の壁を壊してくれました。市民の声がある限り、これからも壁は乗り越えられると確信することができました」

 ところが共闘の流れに逆流と分断が起こります。昨年9月、安倍政権が衆院を解散。結党された希望の党に民進党が「合流」したのです。

 この事態に山下さんたちは、希望の党が安保法制を容認し、9条などの改憲を主張する自民党の補完勢力であることを明らかにして、広く市民に訴えました。

「共産党も変化」

 「逆流と断固たたかう」「共闘を決してあきらめない」。共闘の再構築に全力をあげ、市民の声が高まるなか、野党の中にも共闘の立場に踏みとどまる流れが広がりました。

 “積極的な野党共闘の姿勢を共産党はしっかり示してくれた。今のダメ政治をなんとかしたいと本気で考えている″とツイッターで発信した奈良在住の作家・寮美千子さんはいいます。

 「共産党には近づきにくい印象もありましたが、確実な変化を感じます。山下さんにも、党への苦言に耳を傾ける度量の広さがあり、これぞ民主主義と実感しています」

 市民と懇談を続ける山下さんは語ります。「懇談には『共産党に文句をいうために来ました』という方もいます。いいたいことをいい合えるのは本当の友人だからこそと思います。共闘の中で私たちも鍛えられ変わっていかなければならない」

 (つづく)

まともに働ける社会に 
連帯広げ--参院議員・比例予定候補 山下よしき物語Ⅱ (第1回)

質問する山下議員=6月4日、参院本会議 「誰もが8時間働けば普通に暮らせる社会こそ、国民が求めている」

 今月4日の参院本会議で山下さんは、「働き方改革」一括法案は過労死を促進するとして廃案を求めました。月100時間の残業を容認し、労働者を死ぬまで働かせても企業の責任が問われない残業代ゼロ制度を導入する――。

無念を胸に刻み

 こんな法案を出した安倍政権に気迫の追及をする山下さんにとって労働・雇用問題はライフワークです。

 「国会で質問するときは働く人たちの人生を背負うつもりでいつも臨んでいます」

 NHK記者・佐戸未和さんの過労死事件を参院総務委員会でとりあげた昨年12月、質問原稿の隅にこう記しました。“未和さんの無念を胸に刻んで”

 「質問原稿の隅に書くのは政府との論戦に負けないよう自分を奮い立たせるためです」

日雇い派遣で働く青年たちから話を聞く山下議員(右から2人目)=2007年10月

 国会で問題をとりあげるため実態調査に足を運びます。忘れられないのは11年前のこと。登録型派遣や日雇い派遣の実情を調査しようと、千葉県市川市を訪ねました。朝6時、集合場所に次つぎやってくる青年から直接声を聞き取りました。

 “集合場所から派遣先までトラックの荷台に積まれて運ばれた”“冷凍庫で何時間も作業するのに手には軍手をつけるだけ”“好きな人ができても付き合ってといえない。登録先から仕事の連絡が来るのを待つ不安定さでは幸せになれない”

日雇い原則禁止

 「こんな働かせ方を若者たちにさせていてはこの国に未来はない。政治の力で改めるべきだ」。山下さんは聞きとった声を政府に突きつけて質問。舛添要一厚労相(当時)は「先進国として改善していかないといけない」と答えました。その後、労働者のたたかいを力に日雇い派遣は原則禁止になりました。

 「労働者派遣法の抜本改正ではありませんが、一歩前進です。たたかってこそ道は開ける。人間らしく働けるルールをつくりたい。そのために多くの人たちと力を合わせたい」

 空調機器大手ダイキンエ業が2010年、200人の期間社員を雇い止めにしながら、新たに200人余の期間社員を雇い入れました。「仕事は継続しているのに労働者を細切れで入れ替える。許されるのか」。山下さんは国会で告発しました。

 そのとき同社に雇い止めにされ職場復帰を求めてたたかった青山一見さんは語ります。

 「山下さんはたいへん熱く行動力のある人です。私たちが争議を始めてすぐ調査に来ました。親身になって話を聞き、国会でとりあげてくれたことは大きな励ましになりました。一緒にたたかう仲間のようでした」

  (つづく)

第26回党大会、新書記局長に山下芳生 
「新たな人間ドラマ広げたい」---山下芳生新書記局長に聞く

大役に家族から励まし

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──若き新書記局長としてメディアでも注目さています。

 山下 13年間書記局長を務められた市田忠義さんに代わっての大役です。責任の重さを感じています。
 党大会で書記局長就任が決まった18日、地元大阪の党支部・後援会のみなさんが胡蝶蘭(こちょうらん)の鉢を持ってわが家に来られて、妻を励ましてくれました。私は今でもなかなか家に帰られへんし、三男はまた小学生ですから、いろいろ察していたたいてのことでした。上の息子たちからは「お父さん、健康に気をつけて」と励ましをもらいました。 フェイスブック上で知り会った大たちや他党の元国会議員の方からも「大役ですが、頑張ってくたさい」「のびのびやってくたさい」などメッセージをたくさんいたたきました。ありがとうございます。

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胸のバッジは「みなさんの瞳」 
山下よしき物語(5)

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写真=国会質問後、傍聴したソニーの期間社員と。2011年7月22日

★原稿に思いを込めて
「彼らの〝誇り〟と〝悔しさ〟をつめこんで!」
 東日本大震災の被災地、宮城県で起こった電機大手、ソニーの雇い止めを問題を菅直人首相相手に質問した際、質問原稿の余白に、力いっぱい書き込まれていました。
 山下よしきさんは、自らを奮い立たせる意味も込めて、質問に臨む姿勢を原稿に記します。
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労働者は将棋の駒と違う 
山下よしき物語(4)

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写真=2001年10月12日、松下電器本社にて。右から山下、宮本、塩川、吉井の各氏。

 2001年。大阪選挙区候補として2期目に挑んだ参院選で山下よしきさんは、59万4千票を獲得したものの、およそ8000票差で惜敗します。

 山下さんは議員バッジはなくなったものの、日本共産党中央委員会が設置した「リストラ反対・雇用を守る闘争本部」(本部長・市田忠義書記局長)の事務局長になります。
 弱肉強食の「構造改革」路線を突き進む小泉自民党政権のもとで、自動車、電機、鉄鋼、情報産業などで退職強要や転籍(解雇)を迫る激しい〝リストラ・人減らしの嵐〟が吹き荒れていた真っただ中でした。党は「大規模なリストラに反対し、雇用を守る国民的たたかいをよびかけます」を発表し、本格的な国民的闘争をよびかけました。
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初当選の原点「あったかい人間の連帯を」 
山下よしき物語(3)

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写真=写真=小田さん(右端)とともに被災者支援法実現へむけデモ行進する山下さん(左端)。中央は緒方靖夫・現党副委員長=1998年3月1日、東京

 1992年参院選で日本共産党の比例候補として活動した山下よしきさんが、95年参院選の大阪選挙区候補として活動しているとき、阪神・淡路大震災に直面しました。山下さんは「被災者生活再建支援法」成立までを経験し、「どんなに壁が厚くとも、国民とスクラムを組んでたたかうなら政治を動かすことができる」ということを痛感しました。
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青年運動と家族 
山下よしき物語(2)

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写真=妻と3男(左)と一緒に趣味の登山(金剛山)へ

 市民生協の職員として働く山下よしきさんに、人生の転機が訪れます。「民青の専従をやってもらいたい」との要請に「自分を鍛える場になる」と引き受け、日常的に政治に携わる専従活動家の道へ。

 平和や食品の安全に情熱を傾けた生協時代の経験も生かし、民主青年同盟北河内地区委員会の委員長として同盟員と向き合い、運動の先頭に立ちます。

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